聞くということ(傾聴)

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本日は聞くということについて、少し考えてみたいと思います。
(そしてそれは結果的に、話す事はどういうことかに繋がるようです。)

よく、「人間に耳は2つあるのに、口は1つしかないのは良く聞くことが重要だからだ」ということが言われたりしますが、
(耳は2つはないと音の遠近感分からないじゃん!と真面目に突っ込んだりしますが)、あながち間違ってもいないように思います。

特に「時間」が非常に貴重な資源で、時間あたりのコミュニケーションの濃さを意識しなければならないビジネスの場面で、「自分が喋りたいことを喋る」「自分が気持ちいいことを喋る」というのはルール違反で、少なくともこの話は相手が聞きたい話なのか、この時間の結論にどのくらい影響を与える要素なのか、を確認しながら、考えながら話すべきです。
(この人、誰に会っても同じ事を話しているだろうな、というのも同じで(過去の自慢話が典型的な例)、しっかりと相手に適合した話とすべきです。これはちょっと話が複雑になってしまうのでまたの機会に譲ります。)

・相手が何を求めているのかを見極める(見極めた上で、満額回答する)ことで、効率的、効果的なコミュニケーションを行う
・聞くという姿勢(傾聴)自体が、相手に安心感や自己重要感を与え、コミュニケーションを円滑にする

この2点から、私は聞くことに比重を置いたコミュニケーションを意識したいと思っていますが、そのための私なりのコツのようなことを共有してみたいと思います。

人に興味を持つ
ある時、「飯原さん、初対面の人にそんなに低姿勢にならなくてもいいと思いますよ」とその商談の時に隣に座っていた社内の人間に言われたことがありました。(実際にはそんなに低姿勢ではありませんし、時として横柄な態度が出ていると思いますので、本当に要注意なのですが。)

どうしても「低姿勢」という感覚が私になかったので、そのように言われた理由を考えてみたのですがそれは、「相手に対する好奇心、興味」がそのように感じさせたのではないだろうかという思いに至りました。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ という言葉がありますが、その心は他人の失敗(と成功)に学べるかどうかではないでしょうか。 

理屈っぽく書きましたが、他の人に興味を持って話を聞くって楽しくないですか?笑自分じゃない人の人生や考え方って面白いです 

安易に類型化しない(類型化しっぱなしにしない)
よくやりがちだし、よく見かける光景ですが、

「ああ、それね。知ってる知ってる。」
「ああ、そのパターンね。そのパターンはこうだな。」

と話を最後まで聞かずに、途中で頭の中で自分の経験や知識と関連づけて、類型化して、それ以上の新しい情報は無意味だからと、聞いているようで一切聞かなくなって(馬の耳に念仏状態)しまうことがあります。

・果たして、私が考えているそれと、この人が話しているそれは本当に同じだろうか?
・同じ事実に対しても、この人はどんな見解を持っているのか、それはどのような考えから来ているのか?
・良く聞くこの話題に対して、この人はどのような視点で意見を述べるのか。それはどんな経験から来ているのか?

ある意味、良くある話題の方がその人らしさがあぶり出されるので、傾聴に値すると言えます。
(そう考えると、話すということが非常に慎重を要することであることも感じ始められると思います。)

※特に、マスメディアの二番煎じ的な意見は分からないようで、実は分かる人には分かる「評価ポイント」なので気をつけたいものです。

パスクリエイト株式会社
飯原 崇暁

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